フランス革命からナポレオン帝政、更に王政復古まで、めまぐるしく大変化が続いたあの時代、僧院教師でありながら教会を裏切りそれを破壊し、穏健主義の地盤で議員に選ばれたに拘わらず王党派を大量虐殺し、熱烈な共産主義者のくせにフランス一の富裕な公爵に成り上がり、ナポレオンに徹底的に疎まれながらも最後までナポレオンの側近であり続け、しかも最後は恩人のナポレオンを裏切り、ルイ16世の斬首の責任者でありながら弟ルイ18世が王政復古しても大臣に居座るなど、裏切りと変節の限りを尽くし最後まで政治の中心部に居残る。いまだに無節操極まりない冷酷の悪漢、嫌なやつの代表と思われているジョセフ・フーシェの伝記だが、何度も訪れた絶体絶命の修羅場で、冷徹な判断と恐るべき生存本能で「危機一髪」斬首を逃れるフーシェの生き様は、まるでスリルいっぱいのサスペンス小説を読むようだ。鹿島茂も同じテーマで本を書いているが〔『情念戦争』)、こっちの方が格段に面白い。ツヴァイクと鹿島茂の筆力の差だろう(鹿島先生ごめんなさい)。
マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』の半世紀も前に、フーシェは、それ以上に完璧な「フーシェ版共産党宣言」を発表していた。これはちょっと驚き。フーシェには理想とか理念というものは一切なかった。だから共産主義も便法でしかなかったはず。だからこそ雄弁になれたのだろう。人生は舞台、人間は役者。役者の方が本物らしく見えるという実例。
同時にこの本で雄弁に描写されるのは、ナポレオンのすごさ。ナポレオンの偉大さは戦場での勝利にある以上に、緻密な数学的緻密さと勤勉さでナポレオン法典などの制定を通じてフランスを近代国家として建設したことにあることがわかる。ナポレオンは並の人物ではないだけにフーシェの有能さは理解していた(だからこそ大嫌いだったけれど使い道があるフーシェを、敵に回さないためにも最後まで自分の部下として抱え込んだ)。
タレーランも基本的に「勝ち馬乗り」御都合主義者である意味でフーシェと同じであるとの記述も面白かった。でもタレーランはネアカだったために、いまでも評判のいい偉人である。フーシェはネクラ。人生、ネクラは常に損をする。さすがのフーシェも晩年は惨めだった。これ人生訓。
ナポレオンもロベスピエールも、あれだけの大天才だったにも拘わらず、最後の土壇場で一瞬の優柔不断が運命を分ける。フーシェを追い詰めギロチンにかけようとしたロベスピエールは最後の土壇場で大逆転され、逆にギロチンに掛かる。ナポレオンも最後の土壇場で列強との妥協のタイミングを逃し、フーシェに裏切られる〔フーシェによればナポレオンはフーシェに裏切られたのではなくワーテルローに裏切られたらしいが)。出来過ぎみたいな話だが、これまた人生訓としても面白い。
感心するのはあの時代、あれだけの物的破壊を繰り返し、数百万人の人的犠牲を払いながら、フランスが経済的に急速に発展したこと。パリを中心とした全ヨーロッパにまたがる文化的帝国主義圏〔文明〕が完成するのだ。まさにシュンペーターの言う「創造的破壊」である。古くさいものを大切にするだけでは国はジリ貧に陥るのである。これは経済史的教訓。
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